ずっと昔に友達が薦めてくれたのをふと思い出して、図書館から借りてきた「しゃべれども しゃべれども」。
本屋で勝田文さんが漫画化したのを見るたびに、原作読んでから、と思いつつ、月日は流れ・・・
借りてきてみて気づいたけど、今、「志ん朝の落語」集を読んでるから丁度よかった!
そして、私がこれまでの人生で一度だけ行ったことのある寄席・末広亭がちらりと出てきたのも、なんとなく親近感がわいてよかった。
話し全体的な感想としては、友人が薦めただけあって面白かった!
落語が題材というのもあって、割と軽く読めたので、息抜きに丁度良かった一冊だった。
以下あらすじ;
主人公は小三文を師匠とあおぐ二ッ目の三つ葉こと達也。
気が短いので有名で、武勇伝をいくつか持ち、それを師匠や兄弟子に誇大されて披露されてしまうてな風。
話は従兄弟で、アルバイトとしてテニスのコーチをしている良に呼び出されるところから始まる。
良は昔ひどい吃音で、テニスに自信をもつようになってから、それもナリを潜めたが、このたびテニスのレッスンで色恋沙汰の渦中に入ってしまったため、また出てきてしまったのだ。
そのため生徒も減って、このままだと仕事を辞めなくてはいけなくなる、話し方を教えてくれ、と達也に頼む。
噺家はそんなことできない、と断るのだが、師匠である小三文がどこかのカルチャー教室でしゃべりについてのレクチャーをするというのに同行し、その際に良も呼ぶ。
でもなんとなく良が求めるのと違う、と二人で思っていると、偶然同じカルチャー教室で一緒だった女性・十河に出会い、なりゆきで達也は二人に落語を教えることなったのだ。
ところが生徒はこの二人にとどまらずに、祖母が開いているお茶の教室に通う女性の小学生の息子・村林も習いに来ることになる。
なんでも大阪から転勤で来たばかりで、息子は関西弁が抜けない。それのせいだかなんだかで、友達も一向にできず、どうやらいじめられているらしいので、落語を通して江戸弁を身に着けて欲しい、というのが母親の願いだったらしい。
その上、途中から元・プロ野球選手の湯河原まで習いに来る。
湯河原こそ氾濫因子で、すごい毒舌で嫌な感じなのに、引退してからまわってくる野球解説者の仕事はとんとうまくいかない。マイクの前となると一向に言葉が出てこなくなるのだ。
こんな風に、“しゃべること”に何か悩みを持つ四人が落語を習う、というのが本筋となっている。
もちろんそれだけじゃなくて、主人公・達也の落語に対するスランプも描かれていて、それぞれの成長物語のようになっている。
といってもスポ根魂のような暑苦しさもなく、それといって青春物語や他の成長物語のように堅さはなく、あくまでも気楽な感じで、肩に力が入っていない感じ。
といっても底抜けに明るかったりするわけではなく、主人公だって悩んだりする、その微妙なさじ加減というのは作者の腕の見せ所だったのかもしれない。
最後がいささか駆け足だった気がしたが、ちょっと疲れた時に読むと、読み終わったときにはほっと一息つけられるような本だった。
佐藤多佳子 「しゃべれども しゃべれども」 平成12年 新潮社
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