上が途中で終わっていることもあって、間髪いれずに読んだ「壬生義士伝」の下巻。
今回も涙なしでは読めず。
せっかくの五月晴れがまぶしいゴールデンウィークもしんみりと始まったのだった……
ひたすら幕府の駒となって恨みを被った新撰組と、賊軍という汚名を着せられて御一新後に差別されてきた南部の武士たちの想いのたけが、語り口調という手法によって鮮やかに描かれている。
そしてこれが泣けるんだ!
と大まかな感想はこれまでにして、ざっとしたあらすじはというと。
今回の語り手は、上巻からの続きで斎藤一、大野千秋(吉村貫一郎の幼馴染、大野次郎右衛門の子息)、大野次郎右衛門の中間・佐助、上巻に出てきた最初の語り手、それから吉村貫一郎の生き残った方の息子・吉村貫一郎となっている。
途中途中に、吉村貫一郎の切腹直前の独り言が入るのは変わらないが、最後の合間には彼の嫡男・吉村嘉一郎の死ぬ前の一言が入っている。
そして物語のしめは、大野次郎右衛門が、吉村貫一郎(息子)を越後の豪農に預けてもらうのにしたためた書状となっている。
この書状、漢文調で非常に読みにくかったのだが、頑張って読むと、大野次郎右衛門の心のうちが書かれていて、彼がどうして官軍に立ち向かうように進言したのかがなんとなく分かってきた。
それにしたって、私の一番のつぼは大野次郎右衛門だった。
確かに吉村貫一郎は立派な人だったのかもしれないけれども、建前(藩の中でも大事な役目を持つという立場)と本音(吉村貫一郎の親友)で揺れて、必死で立ちまわっていたのは、他でもない大野次郎右衛門だったと思う。
貫一郎が脱藩する際には、旅装束を整え、自分の危険も承知で通行手形を渡したり、藩の邸に転がってきた貫一郎に苦渋の想いで切腹を命じたり。それでも夜中には握り飯を不器用ながら作って、届けさせたりするところだけでも涙なのに、貫一郎が死んでしまった後に、
「食え、貫一。お前、この米の味ば夢にも見たじゃろ。誰にも気兼ねはいらねぞ。南部の米ば腹一杯食え。のう、後生じゃ、腹一杯食って呉ろ。最早、食えねがっ…(中略)…
(p224)
わしは、またひとりぼっちになってそもたではねが。のう、貫一、わしをひとりにしねで呉ろ。お前がいねえと、わしは生きて行けぬのじゃ」
と貫一郎を掻き抱くシーンは涙涙。
本書は吉村貫一郎のことを色んな人が語る、ということで、吉村貫一郎の物語と言えるだろう。
でも読んでいって思うのは、吉村貫一郎を語る、というシチュエーションを通して、御一新で“賊”とみなされてしまった、新撰組・南部藩士(賊軍)たちが“武士とはなんだ”“義とはなんだ”ともがいて戦い続けた生き様が本書のテーマだったと思う。
「ラスト・サムライ」という映画が何年か前にあったけれども、あんなのは生ぬるいもので、ここにこそ“ラスト・サムライ”がいるよ!とふと思ってしまった。
彼等の生きた末は哀しいけれども、義をつくす相手がいない私は、彼等がまっとうした“濃い”人生を送るのは難しいなと思った。
浅田次郎 「壬生義士伝 下」 2000年 文芸春秋
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