本屋さんでふと見つけて興味がひかれた浅田次郎の「沙高楼綺譚」。
それぞれの道で成功した者達が集まり、貴重な体験話をする。
女装したオーナーが
「お話になられる方は、誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな。あるべきようを語り、巌のように胸に蔵(しま)うことが、この会合の掟なのです―」
p16
と言うのを合図に語り手が、自分が体験したちょっと不思議な話、それでいて同業者などには話せない類の話を始めるのだ。
その設定だけでなんだかワクワクする。百物語じゃないけど、一人ずつ順繰り物語る、とという状況だけで、期待に胸を膨らませ前のめりで聞いてみたくなる。文章には出てこないが他の登場人物がしているだろう姿と同じ感じに。
その形式の特性により、短編集のようになっているのだが、ある一晩で語られた話は以外の通り;
「小鍛冶」 刀剣の鑑定師の話。徳阿弥家という足利将軍より刀剣鑑定の家元として召し抱えられてきた由緒正しい家柄の家元のもとへ、見事な贋作の刀剣が現れる。その贋作師と徳阿弥家の関係とは。
「糸電話」精神科医の話。小学生時代に転校してしまった幼なじみの女の子に、人生の節々で出会う話。
「立花新兵衛只今罷超候」映像監督の話。戦後間もない頃、新撰組の映画を撮ることになった。その時に妙に侍役に成りきった男が現れる。そして、近藤勇に討たれ「向こう」に帰ってしまったという話。
「百年の庭」軽井沢の華族の別荘で庭を守ってきた庭師のおばあさんの話。
「雨の夜の刺客」ヤクザの親分の話。三下だった頃、ある事件により組長を殺せと若頭から命ぜられる。その事の顛末までの話。
説明文で察しがつくだろうが、1話目と3話目と最後の話が面白かった。
1話目は話が、というより刀剣鑑定師の存在とその世界にびっくりした。
3話目は、実はオチみたいのがあって、それがゾクッともするし、とても哀しいのだ。この“哀しい”と思わせるのが、浅田次郎のすごいところで、つまり立花新兵衛をその前に丁寧に書くことで得られる効果だと思う。
最後の話は、一見ヤクザ物の小説ではよく見る物語に見えるかもしれない。でも何が他と違うって、語り手が人を殺しに行くまでの情景、心情を鮮やかに克明に語っているところだ。
気づかない内に結構、浅田次郎の本を読んでいる私だが、実は「浅田次郎」という作家の印象が自分の中では薄い。でも知らず知らずの内に、なんの気もなしに手に取り、楽しんだり、感嘆したりしてるのが、ちょっと不思議。でもこうやってひょいと手に取る関係が、私にとって丁度いいみたいだ。
(浅田次郎 「沙高楼綺譚(*「高」と「楼」は旧字態)」 2002年 徳間書店)
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