タイトルからの印象と中身が結構違っていた:瀬尾まいこ「図書館の神様」

多分、三浦しをん女史推薦本:「図書館の神様」

児童書のエリアから取ってきたのだが、本当にこれは子供に読ませていいのか?と思った。
まず主人公は結構生気のない感じだし、しかも不倫している。この頃の小学生は早熟だからいいのかねぇ、と思っていたのだが。

ふと、ヤングアダルトって小学生というよりも中学生なのか? う~ん 中学生からは公立の図書館ではなく学校の図書館しか使っていなかったから、その区分がよく分からん。
などと変なところで首をひねってしまったが、話としてはなかなか面白かった。薄さもあって1日でざっと読む終えたし。

主人公は早川清。鄙びた学校の国語講師をしている。
小学校の頃から青春時代はバレーボールに人生を捧げていて、それ故にそこそこ実力も持っていた。
しかし、ある試合の時、絶対勝てる相手であったのに仲間のミスで負けてしまい、バレーボールに関しては厳しい、キャプテンつとめる彼女が、その部員にきつい言葉をかけてしまう。そんなことは彼女にとってはいつものことだったので、自分では気にとめていなかったが、その部員はその日自殺してしまったので、事情はガラリと変わってしまった。

誰もが口には出さないが、みんな彼女のせいにしているし、彼女も責任を感じ退部し、それから生気のない生活(私見だが)をおくることになるのだ。

国語の講師になったのは不倫相手浅見さんの助言で、バレーボールに選手としてではなく監督というかたちで携わってみたらどうか?という理由からであった。
しかし人生はそう簡単にいかず、文芸部の顧問になってしまったのだった。

その文芸部、垣内君たった一人しかいなくて、活気もへったくれもない。
しかも、清は国語の先生であっても、本なぞ全然読む習慣もなく、文芸部なんて退屈極まりないわけだ。

そんな清が、文芸部(というか垣内君との交流)を通して、浅見さんとの関係を通して一歩前進する話なわけだ。というと身も蓋もない言い方かもしれないが。

でも基本的に淡々とした日常が描かれているというのが、確かに一歩前進って劇的な変化からくるものもあるかもしれないけれど、こういう日常からくるってのもあるよな、と思わせた。というか日常を過ごす中での一歩という方が多いのかも。

何はともあれ、川端作品に鼻血がよく出てくると垣内君に聞いて、げらげら笑うシーンなど、垣内君との絡みがよかった。

余談ながら、この主人公に弟が出てくるのだが、このちょっとやる気のない主人公といい、姉のことを気にしているのだかしていないのか分からない感じの弟といい、なんとなく三浦しをんの「格闘するものに○」を彷彿させられた。三浦しをん推薦本(推定)だからというものもあるかもしれないが。

余談2:秋の訪れのくだりで;

 この辺りは、夏は激しく唐突に終わる。…(中略)…そのきっぱりとした気候のせいか、秋の彩りも美しい。緩やかな温度の低下とともに色を変えていく紅葉とは違い、山はぱっと黄金色に染まる。…(中略)…じっくり燃えるような紅葉ではなく、輝きを放つ紅葉。
 目になれし山にはあれど
 秋来れば
 神や住まむとかしこみて見る
 石川啄木の短歌を授業で取り上げた時、生徒は私の何倍も鋭く早く歌の内容を読みとった。何人かの生徒が「わかるなあ」「そのとおりだ」と感慨深げに言うのを、不思議に見つめていたが、秋が来て、それがよくわかった。
 実際に秋の山を目の当たりにすればわかる。山には神が住んでいる。単に美しいのではなく、神々しい。すぐ後には厳しく長い冬が待っている。その短い秋をたたえるように、神社では小さな祭りが行われる。

p81

というのを読んで、確か大野晋の日本の神についての考察で、日本人は山を通して神の存在を認識していたというような内容をふと思い出した。

(瀬尾まいこ 「図書館の神様」 2003年 マガジンハウス)

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