映画が非常にインパクトがあったので、原作を読んでみようと思って手に取った“The Girl with the Dagon Tattoo”。
正直、映画の方がうまく編集されているような気がした。映画から入っているからだろうけれども。
映画とどう違うかを中心に書いていくので、基本的にネタばれ↓
まず主人公のジャーナリスト・Mikaelがある権力者の陰謀を暴こうとしたら、逆にはめられ裁判に負けてしまうところはもちろん同じで、スウェーデンの富豪より姪を殺した人を捜してくれと依頼されるくだりも同じ。
もう一人の主人公・LizabethがMikaelの捜査を手伝うようになるところは割と違う。
Lizabethが、その富豪がMikaelを雇うに当たって頼んだ探偵社に働いているのも同じで、Lizabethの生活環境も割とそのまま。
ただ映画ではLizabethが勝手にMikaelの調査を続行しているような感じだったけれども、本ではちゃんと依頼されるし、映画ほどMikaelに関わったりしていない。
大富豪の姪・Herrietは、40年前忽然と姿を消してしまったのだが、Mikaelの雇い主は殺されたと固く信じている。
というのは、姿を消してしまったその日、Herriet一族が住んでいる島と本島を結ぶ橋で大事故があり、すべての交通機関が止まってしまっていたのだ。
いわゆるクローズドサークルの中で忽然と姿を消した少女。
殺されたのか分からないが、とりあえず死体は出てきていない(大富豪なので海や川や島を徹底的に探している)。
40年前の事件である上、大富豪が時間をお金をかけて探し続けているので、Mikaelにとってはhopeless。
それでもジャーナリストの視線でちょっとずつ解明していくのは面白い。
ところでHerrietの日記に書かれていた、名前と電話番号らしき数字が最大のキーとなるのだが、映画ではLizabethがMikaelのPCをハッキングした際に、それを知り謎を解いてしまう。
対して本でその謎を解いたのは、Mikaelの実の娘であった。
というわけで、LizabethはなかなかMikaelと関わり合わない。
LizabethとMikaelが出会うのは、Mikaelがアシスタントが必要となり、大富豪の顧問弁護士に相談し、紹介されてやっとだったりする。
ここが、やっぱり映画の方がドラマチックで面白かったなと思った点。
あとの謎解きや結論はもちろん同じだった。
ただここでまたブ―なのが、Herrietと大富豪(Herrietの叔父・Henrik)との再会のシーン。
映画ではMikaelが「心臓発作を起こさない?」と言って扉を開けるとそこにHerrietがいる、というなかなか劇的なシーンなのだが、本では割とあっさり。
しかも本の中のMikaelは、この調査により何も得られなかった(もちろん代金は支払われたけど)ということで、猛烈にこの大富豪とHerrietに憤る。
そこがなんだかなぁだった。だって、むしろ「出版はしないよ」という姿勢の方がMikaelに好感が持てたというのに。
そして映画と本が大変異なるのが終わり方。
映画では、そのHerrietと大富豪との感動な再会シーンの後、Mikaelが陥れられた例のスキャンダルについて、Lizabethが調査資料をそっと残してくれる、というシーンで終わってしまうのだが、本ではこのスキャンダルについての話が延々と続く。
もちろんLizabethが資料を提供するのだが、必死にレポートを書くシーンから出版まで、割とだらだら書かれているような気がする。
どうせならHerrietの調査の話だけで終わってくれた方がきれいだったのに。どう考えても謎解きの質としてはガクッと落ちるので、最後が尻すぼみのような気がしてならない。
あともう一点。映画と本とで異なるところ。
本のMikaelは、会う女性会う女性とベッドを共にしている…。ジェームス・ボンド並みに。それはそれでいいけどね。
ちょといかしたオジサンを想像して読みたいところだが、グラディエーターみたいな顔をした映画の俳優の顔がちらついてしょうがないよ。
最後にちょっと
“Somebody’d get a fat lip if they ever called mi Pippi Longstocking on a newspaper placard”
(p55)
と普通にピッピの名前が出てきたのが、さすがスウェーデン!と嬉しくなってしまった。
Stieg Larsson “The Girl with the Dragon Tattoo” 2008, Vintage Books
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