さて、今までは「なぜフェルメールが人気なのか?」という観点でみてきましたが、最後に「なぜフェルメールの良さがいまいち分からないのか」という観点で見てみたいと思います。
フェルメール作品にも浮き沈みがある
どの画家にも大体、成長期→成熟期→円熟期と段階があるかと思います。
フェルメールにももちろんそれがあり、しかし残念ながら円熟期に達する前に亡くなった可能性が高いのです。
ですので、フェルメールの良さがいまいち分からないというのは、もしかしたら成熟期、つまりフェルメール作品の中で絶頂期の作品を見ていない可能性があるということです。
特に、フェルメールの晩年期の作品が要注意です。
晩年期の作品と考えられている作品はこちら;
ここで強調しておきたいのが、どれも”駄作”というわけではありません。
ただ、それまでのフェルメールの作品と様相が変わってきているのです。
前ページで紹介した光の粒が簡略化されてしまい、それまで物語の主題などがぼんやりとした、いわゆる観る人におまかせ系だったのが、背景に絵を配置したり、道具を置いたりと、”饒舌”になった感が強くなります。
簡単に言うと、ふんわりと包み込むような光に満ちた絵から、メッセージ性が強く、光のあたりもやや強い作品へと変わっていってしまったのです。
その理由と考えられるのが、マーケットが大きく変わり、求められるものが変わってしまった、ということです。
特に1672年のフランス軍によるオランダ侵攻は大きな打撃となり、オランダ経済的に絵画の需要は急激になくなります。
フェルメール没後に妻が破産申告する際の陳情にも、その後に絵画がまったく売れなかったことが書かれていました。
ニーズの変化に加えて、市場の極端な縮小。
その中でフェルメールが、時代の要望に応えようと模索していたことが、これら晩年の作品で見てとれます。
もしフェルメールが長生きしていたら、もしかしたら、別のスタイルを確立して、第2の成熟期を迎えていたかもしれません。
が、残念ながら、その模索の道半ばにしてフェルメールは1675年に亡くなってしまうのです。
そんなわけで、「フェルメールは”光の魔術師”と言われているけれども、それほどでもないな」とか「フェルメールの作品は静けさ特徴というけれども、そんな静かさを感じないな」と感じているのであれば、それは晩年の作品を見ている可能性が大きいです。
その場合は、フェルメールの成熟期の作品をもう1度見てみて、光の粒や美しい色彩を堪能してみてください。
以上、”フェルメールのことをそこまでいいと思わないけれども、なんで良いと言われているんだろう?”という観点でみてきましたが、いかがだったでしょうか?
もちろん最終的には、個人の好みの問題とはなりますが、新たな視点でフェルメールを鑑賞するきっかけになれば嬉しいです!
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