年末に友人のイギリス人に、部落問題について聞かれることがあった。
その時、自分にはほぼなんの知識もないことに気付いた。
歴史的背景やその存在は知っているけれども、実体はまるっきり知らなかったのだ。
ということで、手始めに「橋のない川」を読んでみようと思った。
時代設定はちょっと古いので、up to dateという訳ではないかもしれないけれども、これをいい機会にと読んでみた。
とここまでの前フリと、有名な作品だから説明はいらないだろうけれど、本書の主人公は“エタ”の兄弟、誠太郎と孝二。舞台は日露戦争後の大和盆地にある小森。
この小森こそがエタの村で、その地域では小森出身、というだけで差別を受ける。
基本的に大きな話の流れがあるというわけではなく、二人兄弟を主人公に小森の生活が書き記されている。
しかもその生活描写というのが実に細かい。細かいからそこに織り込まれる、小森の人たちが受けている差別の描写が非常に真実味があって、一つ一つがずんと来る。
何せ主人公が小森の兄弟なので、読んでる身としては、彼らの受ける差別に一緒になって悔しかったりするのだが、わけても衝撃的にはっとさせられたのは、兄弟の従妹が自分のおなかの中に子どもがいるか心配しているシーンだった。
その従妹は小学生低学年か中学年くらいだから、妊娠の心配するとはどういうことやねん?と思っていたら
「もし、わいのお腹に赤児がいたら、しまいに出てきよるやないけ。出てきよったら、それ、エッタやもン、心配や。」
(p513)
ああ、そうだったのか……。
ぴくり、ぴくり、孝二は眼瞼と唇がいっしょに痙攣して、涙も声も出なかった。孝二は今まで、自分はエッタや、と思いながらも、それが腹の中に巣くっているなどとはてんで考えなかった。けれども、エタ村にうまれた子供がみなエタだとすれば、エタは腹の中に巣くっていることになり、女の子の七重がそれを案じるのはあまりにも当然ではないか。
とあるではないか!
それまでは、登場人物に感情移入して、悔しいだとか「なんでこんな言われない差別を受けなあかんの?」と思っていたけれども、ここにきて本当のショックを受けた。思わず涙が出そうになったくらい。
同情して、というよりも、本当に身をつまされる思いで、「エタとはなにか」というこの話の主題に触れた気がしたのだ。
登場人物に感情移入して、と書いたけれども、その背景には「差別する人=悪人」と完全に言い切れない自分がいる。
そりゃ差別は間違っていると思うし、差別は断じてなくすべきだと思う。
でもはっきり言って、自分が例えば、本書に出てくる坂田に生まれていたら、果たして小森を差別しないとは言い切れるかまったく自信がない。
まるっきり本書と関係ないけれども、友達で大阪出身の子がいた。彼は本当にいい人だったのだが、在日を扱った映画「GO」を観た折に、「でもやつらは汚いし」とさらっと言ってのけたことがあった。
どうやら彼の出身地には在日の人たちの町があって、そんな“差別”がまかり通っているようだった。
その彼の口ぶりから察するに、彼自身はそれを“差別”と思っていなくて、“事実”と捕えているようだった。
そんなことを、本書を読む途中途中に何度も思い出した。
だから差別は簡単になくならないんだなと思った。もちろん、だからといって許してはいけないけれども。
住井すゑ 「橋のない川(一)」 昭和56年 新潮社
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