「書評家<狐>の読書遺産」にて井上究一郎の「ガリマールの家」と対になっていたのが本書、林芙美子の「下駄で歩いた巴里」。
ただ“パリ”ということだけで繋がりがあった訳じゃなかったよな、と思いながら読んでいたが、時代が違うのでとんとリンクが分からない。それで「書評家狐の読書遺産」を読み返したら、フランシス・カルコがキーでありました。
林芙美子はフランシス・カルコに出会い、井上究一郎は偶然に出会った老人にフランシス・カルコの本を手渡されるのだ!
嗚呼、まったく知らない作家の名前が羅列される中にそんなリンクが提示されていたのね!と、残念で悔しい気分になってしまった。
それはさておき、
本書は申し訳ないけど、「ガリマールの家」よりものすごぉぉぉぉぉおおおおく面白かった!!
そして「ガリマールの家」繋がりで読んだのに言うのもなんだけど、「下駄で歩いた巴里」よりも、中国に行った話や、シベリヤ鉄道で巴里に行く話の方がずっと面白かった。
またもや自分の無知さをさらけ出すのは恥ずかしいことだが、林芙美子は名前を聞いたことがあっても、実際のその著書を知らなければ、いつの時代も知らなかった。
そんなわけで、巻末についている年表を見ながら読み進めていって本当に驚いた。
前述した中国に旅行に行ったのは1930年、シベリヤ鉄道を使って巴里に行ったのは1931年。おりしも満州事変(1931年)が起きた年だ。
そんな時代に女性一人で旅というだけで驚きだが、彼女の精力的な活動が本当に驚き。
しかもそんな時代だからこそ、長旅になれば頼りになるものが少ない。日本を離れてしまったら、日本とのやりとりもままならない。
しかも井上究一郎氏は言葉の問題をことさら挙げることもなく、普通に会話しているところからしてフランス語ができるみたいだが(「失われた時を求めて」を翻訳してるくらいだから当たり前か)、彼女の場合は言葉の問題も大いにある。
それなのに、シベリヤ鉄道で巴里に行った時なんて、片道分のお金しか持って行っていないのだ!!!
それだからこそ、本当に彼女の文章は生き生きしている。
例えば永いシベリア鉄道乗車中で、
私の部屋はまるで貸しきりみたいに私一人です。だから私は、朝起きると両隣りからお茶に呼ばれますし、トランプに呼ばれるし、何しろ出鱈目な露西亜語で笑わせるのですから、可愛がってくれたのでしょう。
(p67)
と楽しげだったと思ったら、
時々、隣室のドイツ人がレコードをかけています。寒い野を走る汽車の上で、音楽を聴いたせいか、私は涙があふれて仕様がありませんでした。
(p73)
ということもある。
出逢う人出逢う人の描写も、作家特有の観察眼の鋭い中描かれているので、人間の美しいところ・醜いところもさらっと描かれていて、その人間臭さが非常にいい。
“あの時代なのに”と“あの時代だからこそ”とが合わさった、大変魅力的な一冊だった。
旅がしたくなる本、というより、旅をして色んな人に出会ってみたい、それが楽しいだけじゃないとしても、と思わせる本だった。
林芙美子 「林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里」 2003年 岩波書店
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