登場人物が自分と同じ名前だと、妙な気分になる:恩田陸「球形の季節」

一時むさぼるように読んでいた恩田陸作品。
最近読んでないなぁ~と思って、ふと「いったい彼女の作品、どれくらい読んだんだろう」と思ったがつき、仕事中にちょちょちょっと検索して、自分が実はあんまり読んでいないことに気づいた。というか多作すぎるよ。

ということで時系列順に読んでないのを片っ端から読むことにした。

そんなこんなわけで、1作目をとんで2作目「球形の季節」。
久し振りの恩田陸だったが、残念ながらいまいちだった。特に最後は「え!?これで終わり!?」という腑に落ちないものだった。

舞台は東北の田舎町・谷津。ここには主に4つの高校があり、一高という進学率の高い公立男子校、文武両道の長篠という私立男子校、進学率の高い二高という公立女子高、可愛いがおつむが弱い私立女子高の藤ヶ丘。

いったい頭の出来があまり良くない男子はどこの高校に行けばいいんだ?という疑問はさておき、この4校、お互いライバル心を持っていたりするのだが、その4校が合同で行う唯一のクラブ活動がある。それが「谷津地理歴史文化研究会」、略して地歴研。

本書はこの地歴研の面々が中心となって繰り広げられる、一風変わった学園物なのだ。
何が一風変わっているかというと、学園物のジャンルというのは「学校」という独特な社会の中で繰り広げられる物語といった感じが強いのだが、本書は確かに「学校」が中心であれども、その学校が複数にまたがっている。

はては田舎町という狭い社会であるがゆえに、“広い社会の中の1学校社会”という“広い中の小さい社会”という図式が成り立たない。何せ学校の先生がその学校出身だったり、町の人がどこかの高校出身だったりするわけだ。だから独特な閉鎖された社会である学校が、なんとなく外に開かれ、他の社会(他校の社会であったり、日常社会であったり)と微妙に繋がっているのだ。
というのが、私がちょっと変わってるな、と思ったところデス。

さて話の発端は、「五月十七日、エンドウという生徒が宇宙人に連れて行かれる」みたいな噂が生徒の中で爆発的に広がったこと、そして「地歴研」がその噂の源を探ろうとしたことから始まる。
そうしたら本当に遠藤志保が姿を消してしまったのだ!!

そのほかにも金平糖にまつわるおまじないが流行ったり、またもや似た噂が広まったり、長篠で願い事を言ったテープをこっそり木のうろに置いたらかなえてくれる、という噂が流れたり・・・と色んな事象が起きる。(以下ネタバレあり)

結論を言ってしまうと、ある人物(長篠の生徒)が操作していたのだが、それに谷津が持っている異空間も登場して「おいおいどうやって収束つけるんだ?」という状態になる。

挙句の果てには、その人物は全員を異空間に連れて行きたいとして、「八月三十一日、教会にみんなを迎えにくる」と噂が流し、ハーメルンの笛吹きのうように皆がなんとなく行ってしまう…でも主人公格の一人みのりは行かず、次の日の朝を迎える、というところで話が終わってしまう。

正直、消化不良ですよ。
私は仁さんと晋さんの対決が読みたかった!!

とりあえずなんとなく奇妙な感じで話が進むのだが、各章のタイトルも変わっている。
例えば、第八章は「プールのむきだしの底は死んだ魚の腹のよう」で、これとまったく同じ文がその章に出てくる。しかも別に重要な文章ではなくて;

 プールのむきだしの底は、死んだ魚の腹のような妙な白っぽさで、その上を体操着姿の生徒たちが散らばって柄つきブラシを動かしていた。

p117

といった、情景描写の一部だ。
こんな風に何気ないセリフとか描写文の一部がタイトルになっているのだ。
なんか意味があったのかな?私にはさっぱり分からなかったよ。
ついでになんで“球形の”季節なのかも分からなかったし。

まあでも、最後まで読ませるのは恩田陸の筆力なのか。はたまた私の恩田陸への愛なのか。かはは

(恩田陸 「球形の季節」 1994年 新潮社)

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