日本の古典美術の展覧会、例えば国宝展や琳派展などに行ったら、必ずある金の屛風や襖絵。
日本美術のイメージというと「わび・さび」に代表されるような、金ぴかとか真逆のイメージなのに、なんでこんなにも金の屛風や襖絵が多いのか?と不思議に思ったことありませんか?
実は、金の屛風や襖絵も、THE日本!な美術なのです。
というのも、日本が多大なる影響を受けた中国では金地の屛風の例は見られないし、むしろ宋の時代の日本からの輸入品に金の屛風があったくらいなんです。
(ちなみに、”襖”という調度品は日本独自のものでもありました)
更に面白いことに、この金の屛風・襖絵が爆発的に製作された同時期に、「わび・さび」の文化も確立しました。
今回は、この金の屛風や襖絵の誕生フォーカスをあてて、その奥深い世界を探ってみましょう~
ひとくちに金といっても色々ある
金の屛風は室町時代の頃から作られてきたようですが、それ以前にも金はさまざまなところで使われていました。
例えば仏像にも金が施されていましたし、絵画においても金箔や銀箔は使われており、平安時代には技巧的に頂点を極めていました。
平家納経に見られるような、みごとな装飾が施されたお経や、平安朝の貴族たちが使っていた檜扇などから、そのすばらしい技術が見てとれます。
さて、金とひとくちにいっても色々とあり、日本人は昔から明確なタイプ分けをしていたようです。
絵画においては、金泥と金箔と区別がつけられていました。
金泥は金の粉を膠などで溶かした顔料で、他の絵具と同様に筆や刷毛で着彩するものです。
よって、濃淡をつけたり、筆で線の強弱をつけたりすることも可能です。
それに対して金箔は、金をうすくのばしたものを、文字通り貼付けます。
イメージとしては、金の折り紙をペタッと貼り付けるのと同じなわけです。
そうなると、金泥と金箔とでは、その輝き方がまったく異なるのです。
金泥は柔らかな輝きなのに対して、金箔はメタリックで無機質な輝きなのです。
下の絵を見ていただくと、その差が歴然かと思います。
山の後ろでうっすら光っているのが金泥、手前でべたーっと貼り付けられているのが金箔です。
金箔は金泥比べて情緒ないな…なんて思うことなかれ!
金箔はメタリックであるが故に、外界の様子に影響を受けるのです。
日本の古い建物で、庭に面した部屋に金箔の施された屛風があるのを想像していただきたいのですが…
例えば緑が深まった頃には緑色が映り込んだり、雪の日には雪の白さで輝いたり、
一日のうちでも朝から夕方にかけての日の光の当たり方でまったく違う様子になったり、
更に夜、燭台の光がちろちろ照らせば、金地が揺らめいて見えたり…
こんな感じで、時間や季節、天気によってまったく違う雰囲気を醸し出してくれるのが金箔なのです!
更に、こうした金箔の良さは、金箔の面積が広ければ広い程、効果が大きくなります。
そうした意味で、屛風や襖は金箔に最適な媒体だったのです。
金屏風の登場
残念ながら、屛風や襖は日用品なので、古いものはほとんど残っていません。
記録として金屏風らしきものが登場するのが、1374年、室町時代のことでした。
室町時代というと、武士社会のなかで文化が育まれた時代でもありました。
連歌、お茶(といっても今の茶道とは雰囲気が異なりますが)、立花などといった遊芸の場に、金屏風や、金の上に絵を施したような屛風が使われていたようです。
こうした屛風絵への金の導入は、「大和絵」と呼ばれるジャンルから始まったようです。
大和絵とは、中国から伝わって来た絵画である唐絵・漢画と区別するためにできたジャンルで、画材などは唐絵・漢画とは変わらないのですが、日本の風景や風俗を描いたものを平安時代の頃から”大和絵”と呼ぶようになってきました。
(ちなみに唐絵は平安時代に唐から伝わってきた絵画、漢画はその後、鎌倉時代以降に宋・元から伝わってきた絵画になります。実際の渡来品でなくても、その様式を真似て日本人が描いたものも唐絵・漢画と呼びます)
なぜ大和絵で金が使われたのか?というと、大和絵は漢画とは違った空間の作り方を行っていたのです。
大和絵は、基本的に上から見下ろしたような構図となっており、地平線・水平線がない、もしくはあっても画面の上の方に位置しているのが特徴的です。
そうなると何がおこるかというと、地面もしくは水面が、際限なく拡がって、面としか見えなくなってしまいます。
それに対して、漢画は俯瞰した構図となった場合にも、地平線・水平線が描かれており、しかも画面の下の方に描かれることが大半です。それにより画面の奥行きが描かれることとなり、更には余白をもって、画面の奥へと吸い込まれるようなイルージョンをつくり出してもいます。
大和絵の例
地平線などを描くことなく、画面下部を手前、上部を奥、という配置でのみ遠近を表現している。そのため地面が奥へ引っ込んでいる感覚がなく、むしろ地面が起き上がって平面のように見える。
漢画の例
はっきりした地平線はないが、画面左の真ん中あたりにうっすらと、空気の線みたいなものが描かれ、奥へ抜けていくような表現が為されている。手前にあたる画面下部より、繰り返し垂直線が描かれることで、地面が強調されている。
さて、金箔は上で書いた通り、ペタッと貼り付けるもので、しかもメタリックな輝きは空間表現に向きません。
これでお分かりかと思いますが、大和絵のように、あまり奥行きを意識していない画面構成には金はマッチするけれども、漢画のような余白をもって遠近感を出そうとする画面構成には金が向かないのです。
一方、室町時代において、漢画と同じく宋から渡ってきた禅宗のお寺を中心に、漢画の襖絵・屏風絵が大流行していました。
いわゆる、今でも京都のお寺などでよく見かける水墨画による襖絵・屛風絵なわけですが、この新しい画法が日本の画家たちに新たな絵画の可能性を与えます。
勢いのある描線や筆致が、広い面積を持つ襖に、大規模な構図をもって描くのに適していたのです。
こうして、大和絵よりもずっと雄大な絵を襖絵・屏風絵に描くことができたのです。
そして…ついにスーパースターたちが登場します!
この雄大なる漢画と、金箔の大和絵を合体させた絵師が登場するのです。
それが狩野元信(1476-1559)でした。
更にそれを大きく発展させ、戦国時代に1つのジャンルを作り上げたのが、その孫、狩野永徳(1543-1590)です。
ゴールドラッシュ!な戦国時代
さて、いよいよ金の襖絵・屏風絵の黄金時代、戦国時代です。
ここで、美術用語を一つ。
金が施された襖や屛風などに、鮮やかな色で描かれた絵画を「金碧障屏画」と言います。
屛風はのぞいた、襖や壁貼付絵などを指して「金碧障壁画」と呼ばれこともあります。
戦国時代に大きく発展したのは、どちらかというと襖絵などの障壁画なので、これ以降は「金碧障壁画」という書き方に統一します。
戦国時代に金碧障壁画が爆発的に製作された背景の1つに、各地の鉱山で金銀が産出されたことがあげられます。
1533年の石見国(今の島根県)で大森銀山が開坑され、そこで能率的な精錬法が開発されたのを皮切りに、あちこちで金山・銀山が発見、開発されたのです。
更に、戦国時代といえば戦国武将たちです。
彼らは権力を誇示するために大規模なお城を次々と建てました。
そして城には、家臣などを招くわけですから、城の中においても権力の象徴というわけで、金でぴっかぴかな襖で部屋を覆い尽くすわけです。
そこで登場するのが、我らがスーパースター狩野永徳です。
煌めく金箔の上に、漢画で鍛えられた勢いのある筆致で、大胆に花鳥画・走獣画を描いたのです。
さて、ここでこうした襖絵がどんな効果をもたらしたか考えてみましょう。
もちろん、金は高価なものでしたので、それを使っていたというだけで十分に権力は誇示されていたでしょう。
しかし、もう一歩、家臣たちの気持ちになって、金碧障壁画で囲まれた部屋に入ったところを想像していただきたいのです。
金箔で作られた金地は、そこに描かれたモチーフの形をくっきりと明確にする働きを持っています。
そして前述の通り、奥行きを遮断します。空間の奥行きを持たせない代わりに、横への広がりを感じさせます。
もっと言うと、奥行きのない均一な空間であるわけなので、複数のモチーフを結びつける働きも持っています。
そんな金地の襖絵が四方を囲むと、中に居る鑑賞者は、圧迫感を感じるのではないでしょうか。
しかも金によって強調されているのは、勢いのある筆致で描かれた花鳥画たちです。迫りくる勢いをひしひしと感じそうな気がしませんか。
水墨で描かれた山水画であれば、落ち着いて、一人で絵画に対峙する…という鑑賞法になりますが、こうした金碧障壁画ではそうはいきません。
多人数で「うぉぉぉおおお~~」と思いながら(もしくは言いながら?)鑑賞するのが適切かもしれません。
家臣たちが集まって、黄金輝く中で、花や鳥、獣たちが勢いよく乱舞する空間に身を置く。
その時、城主の勢い、力強さを感じるだろうし、自分たちの気持ちも高揚してくるでしょう。
そう考えると、戦国時代にこうした金碧障壁画が大量に製作されたのも分からなくないですね。
おわりに
金碧障壁画の誕生にまつわるお話、いかがだったでしょうか?
博物館や美術館の中では、金箔の本来の美しさをなかなか味わうことができなかったり、そもそも屛風・襖絵の劣化の激しさに従来の姿が分かりにくかったりすると思いますが、今度こうした屛風・襖絵に出会った時には、実際に取り付けられた時・場所を想像してみてください。
また違った見方ができるかもしれません。
今回取り上げきれませんでしたが、金雲についても面白い話があったり、この後、江戸時代にどのように金の扱いが変っていったかなども面白いと思うので、またいつか考察してみたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
参考文献
今回は専門書を参考にしたので、読みにくい本も多いかもしれませんが挙げておきます。
『人間の美術8 黄金とクルス』
坂本満、鈴木廣之、丸山伸彦、羽生修二、日高薫 学習研究社 1990年
まさに今回のテーマにぴったりな本。安土・桃山時代の「黄金」にまつわるお話。今回触れなかったけれども、南蛮文化にも触れられています。
『新編 名宝日本の美術21 友松・山楽』
川本桂子 小学館 1991年
狩野永徳の弟子にあたる海北友松と狩野山楽についての本。
その中で狩野派の絵師たちが金碧化したことについて言及されています。
本題である海北友松や狩野山楽についても、非常に分かりやすく、且つ興味深い視点で書かれています。
『近世初期障屏画の研究』
武田恒夫 吉川弘文館 1983年
「本編篇」と「図版篇」の二冊に分かれています。
ばりばりの学術本なので、この分野で研究するといったことがなかれば、読まなくても良いと思います。
非常に詳細に障屏画の成り立ちから書かれているので、非常に参考になるのは間違いなしです。
『日本の障壁画 室町-桃山編』
真保亨編 毎日新聞社 1979年
シリーズになっているのですが、金碧について書かれているのは、この『室町-桃山編』です。
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