「京の国宝―守り伝える日本のたから―」@京都国立博物館

行った日:2021/08/28
★★★☆☆
本日のBest:狩野永徳《花鳥図襖》

全体的な感想

「上村松園」展を観た後、まだ時間的に余裕そうに感じたので京都国立博物館の「京の国宝」展を観に行くことに。
前の週に通信の大学のスクーリングでご一緒した方が、「京の国宝」展行ったらがらがらだったと言われていたので、こんなご時世でも大丈夫かな…と思いまして。

が、ここで私はミスを犯すのです…
というのが、なぜか18時までだと思っておりまして、Googleで調べると交通機関使って30分、歩いて40分と出たので、10分しか違わないのなら歩いて行こうと思ったのです。
しかし炎天下のなかでして…途中の河原町付近でふらふらっと都路里茶寮に行ってパフェなぞ食べてしまったのです。
ところが!実際は17時半までで!最後は駆け足になってしまったーー……パフェなんて食べてる場合じゃなかった!と悔やんでも、まさに後悔先を立たず…

何はともあれ。

確かに、本当に残念に思うくらいがらがらでした。土曜日なのに!
でもその名の通り「国宝」だらけ!見ごたえ抜群なのにもったいない!

ただ個人的には、美術館ばかり行っている身としては若干戸惑ってしまうところもある。これは完全に自分の問題だけれども。
博物館ってやっぱり「モノ」を展示してるんだなーと腹落ちする中盤まで、ちょっと戸惑いつつ見ている自分がいる…

何が言いたいかというと、やはり美術館の展示って、「作品」の展示だと思うわけです。
造形の美しさとか、作家さんの表現とかを鑑賞する場が美術館。
それに対して博物館は、その「モノ」の価値…例えば歴史的に意味のあるものである、とか、当時の様子をよく伝えているとか、そういったものを伝える場かなと。
だから極端の話、造形の美しさ・何を表現しているのか、というのはそこまで重要視していなくて、「モノ」を通して日本文化とはどのようなものなのか、歴史の裏打ち資料としてこういうのがありますよ、という話な気がするわけです。

そんな博物館に、例えば「上村松園」展と同じノリで入ると、一瞬戸惑ってしまうわけですよ。
こんな暗くてかすれててよく見えない絵画を見せられて、いったい何が描かれているのかとイヤホンガイドを聞くと「これは中国から伝わってきたものの中で最古のもので…」とか言われても、「いやいや、そういうことを聞きたいんじゃなくて、どういう意図で描かれて、当時はこれを怖いと思って見たのか、美しいと思って見たのか、そういうのを知りたい」と思ってしまうわけです。

ということで、途中でイヤホンを外して、造形的に自分が何で好きと思うのか、いやちょっと…と思うのかを内省する時間としました。
展覧会の意図と厳密にいえば違うかもしれないけれども、鑑賞方法に正解はない!

そんなわけで、次の「印象的だった作品」は、歴史的にどうすごいとか、こういうところが国宝なんだな!みたいな観点では語っておりませんので悪しからず。

補足すると、この展覧会の最初のセクションは、日本が文化財指定を作った軌跡が中心となっており、公的文書の展示がされていたのですが、それはそれで結構感動しました。
当時のお役人さんたちが、日本文化を守ろうとして(それまでがザルだったのはどうよ、というのは置いておいて)、検討を重ねている姿が垣間見れた時には、今こうして国宝を始めとした素晴らしい作品の数々を享受している者としては感謝の念を抱かずを得なかったです。

印象的だった作品

一言をお断りを。以降の作品は図録からスキャンしているため、曲がっていたり、真ん中部分があまり写っていなかったりします。
画像をシェアするのが目的ではなく、何の話をしているのかの参考のために掲載しているということで悪しからず。

《瓢箪図》如拙筆 大岳周崇等三十一僧賛 京都・退蔵院

造形的に…と言ってたのに、のっけから完全にミーハー心から、「教科書に載ってたやつーー」と思って印象的だった作品。

図録を見たら顔がどうなっているのか分かったけれども、実際に見るとあまりよく見えなくて、頭がどう向いているのか不可思議だった。

そんなことよりも、正直、教科書で見た時から思ってたけれど、上の賛にどんなこと書かれているのか、数例でもいいから教えて欲しい!
イヤホンガイドにでも語られず…自分で調べろよ、という話だが、次の作品に移った途端、この欲求は忘れてしまう。。。

《御堂関白記》自筆本 寛弘元年上巻 京都・公益財団法人陽明文庫

これもミーハー枠。なんと藤原道長の自筆の日記!!!
自筆日記で現存するのでは世界最古!
残っているのだけでも33歳~56歳までのが断続的にあるらしい。
歴史の中の人で、あまり現実感のない道長が実在していたんだ…と当たり前のことながらも、その自筆のしかも日記を見ることで、妙な感動を覚える。
ここにはあまり見られないけれども、書き損じたのを塗りつぶしたり、字の大きさがばらばらだったりと、生身の人間を感じるところも大きな感動ポイント。

《病草紙 歯の揺らぐ男》京都国立博物館

歯周病で歯が抜けそうになっているところらしい。
何よりもこの男性の描写が細かい!着物の柄までしっかり描かれていて、顔も皺や眼がしらの赤色といい、細かい。それでいて顔がひょうきんな感じ。
それに対する、非常に簡素な女性の描き方よ。フォーカスを当てたいのが男性だから、効果としては合ってるんだろうけど。

《法然上人絵伝 巻九》京都・知恩院

実際の展示ももっと長くて、上の絵は物語の結末にあたるところ。
図録の説明には巻九の内容について触れられていなくて、あやふやな記憶から書くと、確か上皇が納経するのに法然上人がメインパーソンとして取り仕切る話で、紙が送られてきたり、筆の水を屋敷に流れる川から汲んだり、といった場面が展開される。

何よりも面白いのが、いずれの場面にも結構多くの人が描かれているのだが、表情が一人ずつ違って生き生きとしていること!
公家は顔が白く塗られていて、それ以外の人は女性含めて塗られていないので(女性はもちろん位の高い人ではない)、公家はおしろい塗ってたのかな…なんて思ったりした。

ずっと簡素な画面だったのに、この上の絵の場面になると、着飾った人たちが出てきて、最後の晴れやかな感じが対比となって、絵巻でたどった時の「おおお~」感がすごい。
そういう意味で、絵巻の面白さを感じられた作品でもある。
因みに、緋毛氈の上に立っている人たちの左から二番目の人、後ろの布が一人翻ってて「あ、直してあげたい」と思ってしまう、この細かな演出が素敵。

《玄奘三蔵絵 巻六》高階隆兼筆 大阪・藤田美術館

これももっと長くて、これの前にいくつかの場面が展示されていた。
こちらも絵巻物の楽しさを感じる作品。
なんといっても三蔵法師が旅しているわけだから、鑑賞者も絵巻物を繰りながら一緒に旅している気分になる。
そして先ほどと同じく、この霊鷲山の場面に来る前は建物メインの場面なので、ここに来て目も覚めるほどの青と緑の山々の場面に出くわすと、色彩の面でも、直線と曲線という面でも、感動が生まれる。
緩急をつけた場面展開が絵巻物の楽しさなんだなと感じた作品。

《山水図》雪舟筆 以参周省・丁庵桂悟賛

私はまだ山水画の良さがよく分かっていなくて、そのため雪舟も何が良いのか分かっていないなか、この作品は「もしかしてこういうのが良いのかしら…」と思った作品。

目の前の道を眼でたどると、驚くほどの遠近感を感じる。
そして更に向こうに見える舟と対岸の山(?)が、めちゃくちゃ遠く感じ、且つ、そこに眼が到達すると、なぜか視界が開けたような、広い海/河に到着した解放感が感じられる気がする。

図録だとこの感動がちょっと分かりにくいのだけれども、実際は遠景がもう少し薄くて、それが遠近感をより出しているのだと思う。
近景にあたる手前の道や、真ん中の松のような、太い輪郭線が正直好みではないんだけれども、この太い線が単なる近景・遠景の対比を行っているのではなく、眼を引き付けることによって、否応なく目線を近景から遠景へと誘導させているように感じた。

いつか山水画の魅力に気付きたいところ…

《花鳥図襖》狩野永徳筆 京都・聚光院

本日のBestでございます。

ちょうど、卒論で狩野派について書いているので、狩野派を語る上で避けては通れない狩野永徳についても調べていて、この作品も比較作品として取り上げていた、というのもあるかもしれない。
が、それを差し引いても、本物見れた時の感動よ!!!

これはまだ永徳が大画と呼ばれる、永徳の特徴となる荒々しい作風を確立する前、まだ28歳頃の作品と言われている。
でもその萌芽は既に見えていて、例えば松の根っこの地面を鷲掴みしているような形、松の枝の伸びの勢い、岩の荒々しさにそれが見える。

というのが、本で調べていた内容だったのだが、実際に見てみたら、本に書かれている通りではあるけれども、その通りではないというか。
ただ荒々しいだけではなくて、本当に本当に!勢いというものを感じる!!!この枝をとっても太さと掠れ、角度、そして同じ方向へ反復するように描かれている複数の枝によって、勢いというか枝のエネルギーをすごい感じる!

それでいて、鶴や雁、そして見えにくいけど右上の松の枝にとまっている小鳥は、非常~~~に繊細に描かれている!
それは本にあまり書かれていなかったと思うので、自分にとっては結構な発見だった。
特に左端の雁で目を伏せている雁が、本当に穏やかに目を伏せていた。

掠れも使いつつ勢いを表現した松や岩と、にじみなど使ってほんわりとした雰囲気を漂わせる鳥たちの対比たるや。
この鳥たちのおかげで、松の枝がどっかにいっちゃわないで、画面におさまっている気がした。

正直、これを見れただけでも、この展覧会に来た価値があったなーとしみじみ思った。

《ポルトガル国印度副王信書》京都・妙法院

これも若干ミーハー枠。
ポルトガル領インド副王が豊臣秀吉に送った書簡とのこと。

Cに囲まれて、秀吉の桐の紋が描かれていえるのが、ちゃんと陰影かかっていて面白い。
秀吉がこれを受け取った時に、周りの絵をどう見たのかが気になる。
頭のみで羽が生えているのとか、どう見たのかな…イルカみたいのとか海の動物って分かったのかな…リボンのぴらぴらしてるのとかどう思ったのかな…などと妄想が膨らむ。

《二十八部衆立像 婆數仙人》京都・妙法院

この圧倒的なリアリティ!

日本の古典的な作品って、絵画・彫刻問わず、あまりリアリティって感じることがないけれども、時々、このようなびっくりするぐらい写実的な作品に出くわす。
そうした時に、写実的に作れなかった/描けなかったわけではなくて、あえて写実的な方向にいかなかったということなのでは?と思う。
なぜ写実性にいかなかったのかをいつか探りたいと思って今に至っている…

《二十八部衆立像 摩睺羅》京都・妙法院

動きがあってちゃんと立体的という点でも、単純に「すごいな」と思う作品だけれども、それだけではなく、顔や姿形がいかめしいけれども、楽器を持つ手がすごくたおやか!

ギャップがたまりませんな、という作品。

《春日大社本宮御料古神宝類 山水蒔絵箏》奈良・春日大社

神宝用ということで、実用向きではないので普通よりも小さいとのこと。
因みに図録では縦に掲載され、説明にも「画面を演奏時の横向きではんかう収納時の縦向きにとるのは、神宝として装飾を重視したためとされる」とあったけれども、展示時はこの形で展示されていたし、縦に見るというのがよく分からなったので、この形で載せてみた。

これはただ単純に美しい。
これに弦が張られていたのを想像すると(実際に張っていたかは分からないけれど)、直線の合間に踊るように輝く曲線や、ちらちらと煌めく鳥や蝶は、さぞかして美しいだろうなと思った。

《玉泉帖》小野道風筆 宮内庁三の丸蔵館

書のことはからっきし分からないけれども、こうやって踊るような文字は意味も分からず好き。
奔放そうでいて、計算されているようで、でも勢いがあって、見ているだけでうきうきした感じがする。
いや、内容は全然そんな感じではないのかもしれないけれども。。。

しかも、小野道風というところにミーハー心がくすぐられ、蛙を見て精進しようと思って到達したのがこの字なのかなー…と妄想してしまう。

《天子摂関御影 摂関巻》豪信筆 宮内庁三の丸蔵館

これ、わりと延々と人が並んでいて、一人ずつ顔が違う。
似絵と呼ばれる、いわゆる似顔絵だけれども、これで満足したのかな…と思う顔たち。。。

さっきの二十八部衆での写実の話ではないけれども、ここでは写実を求めなったのか?と思ってしまう(前に、日本では似せて描くと魂を抜かれると考えていたため、似絵は死後に描かれたというのを読んだことがあるけれども)

それにしても、絵巻の形で一人一人がチンと座ったのが続くのは、群衆画としても面白い。

《金銀鍍宝相華唐草文透彫華籠》滋賀・神照寺

散華供養の時に花葩を盛る器とのこと。
これが複数枚並んで展示されているのは圧巻だった。
見ると、本当に模様が細かくて美しい。

展覧会チラシ&作品一覧

コメント

タイトルとURLをコピーしました