法月氏の写真を見たら虚無僧っぽかった(なんとなく):法月綸太郎「生首に聞いてみろ」

綾辻行人作品の「どんどん橋、おちた」のなかで、りんたろう青年が、悩める青年として出てくるのですが、確かに、法月綸太郎の作品って、どこか哀しさが漂っているような気がします。法月綸太郎といえば、そういえば、高校の時にはまって、学校の図書館に彼の作品を全作入れさせたものです(うちの学校は、リクエストをすると買ってくれる、という大変良心的な学校だったので)。
その法月綸太郎の作品で、評判になっている、ということで手に取ったのが「生首に聞いてみろ」でした。

面白いことに、殺人事件は、お話の中ほどまでこないと起きません。この先、ネタばれになるので、もし、読んでいない人が紛れ込んでしまったようでしたら、スキップしてください。

彫刻家の川島伊作が死ぬ前に完成させた遺作、愛娘、江知佳をかたどった彫刻の首が切られているのが見つかるのが、事件の発端となります。その作品というのが、十数年前の事件を告発するものだった、そしてそれに気付いた江知佳が、その犯人たちに殺される、というのが、事件の真相なのですが。

からくりが面白いのは、さりながら、今回の哀しさというのが、真相の明かし方によく出ているのではないか、と思ったのです。

というのは、事件のあらましは、綸太郎の後輩とその知り合いで、事件解明に関与した人に、綸太郎が語る、という形で明かされます。でもその時には、決定的な、この事件の大本となった事件の真相が語られないわけです。

その真相というのは、伊作の妻の孕んでしまった子供の父親は誰か、ということなのですが。本当は、妻の妹の旦那なのですが、その妹達の陰謀により、伊作は、伊作の弟だと誤解するように吹聴されます。その誤解で起こった陰謀、そして伊作とその弟の仲違い(弟からしたら一方的な絶交状態)、弟との誤解とけた途端に、計略にはめられたと気付いた伊作が造った作品によって、真相を知ってしまったがために殺された娘、と事件が事件を呼び、またもや事件とつながる、というわけなのですが。

その大本の真相は、お話のクライマックスに、綸太郎が伊作の弟(つまり江知佳の叔父)に語る、という形で明かされるわけです。その後にもらす、伊作の弟の言葉が、本当に哀しい。

「―――兄貴の誤解が解けなければよかったということか。十六年前の秘密をそのまま墓場へ持っていってしまえば、エッちゃんが殺されることもなかった。死んだ律子さんに顔向けできない。私たち兄弟は、絶交したままでいればよかったんだ」(p492)

その二重の、真相解明によって、この作品の哀しさというのが、出ているような気がしました。

最後に、引用されていた文章で面白いのがあったので、メモメモ。

「彫刻家の観点からすると、彫刻という形式で表現する際の人間の頭部の(しかもおそらく人体すべてのうちの)もっとも難しい部分は目である。彫刻の全史を通して目はつねに頭部の立体的表現のなかで最大の問題を提示してきた。これはもちろん、人体のすべての部分のうちで目だけが、形からではなく、虹彩と瞳孔という色彩からできた模様をしているという事実に起因するのである。 <ルドルフ・ウィトコウアー 『彫刻――その製作過程と原理――』>」(p5)

(法月綸太郎 「生首に聞いてみろ」 平成16年)

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